2002年10月 テロ
バリに戻るとテロの惨劇が目に飛び込んできた。実は2,3日前に合流したボートクルーに「テロがあった」ときかされていた。
テロはインドネシア・バリ島のクタ地区とジンバラン地区で爆発がほぼ同時に複数回発生した。
米CNNテレビなどが伝えたところによれば、3日までに少なくとも22人が死亡、120人以上が負傷した。自爆テロ犯3人も死者の中に含まれているという。 新婚旅行中だった青森県出身の男性(51)の死亡が確認されたほか、日本人4人が重軽傷を負った。
犯行はイスラムテロ組織、アルカイダとつながりが指摘されるジェマ・イスラミアによるものと。 爆発は外国人観光客の多いクタ地区のクラブが立ち並ぶエリアとリゾートホテルが立ち並ぶジンバラン地区のレストランで起きた。
知り合いのサーファーはチューブスというクタの中心にあるエリアで飲んでいたところ突然爆発。ものすごい爆音と共に地震のような揺れを感じたという。町は爆風で窓ガラスがかなり割れていた。
ボートをおりて バリ島テロ
バリ島について、僕らのボートトリップ組もすかさず日本に電話を入れた。日本では僕らは行方不明という扱いになっていると言う事だ。船の上だったので安否が確認できなかったと言う事で親兄弟や友達、親戚にはかなりの心配をかけたようだ。
テロの写真をイロイロ集めてみた。
爆発に最も近かったサリクラブがあったと思われる場所は骨組みというか、鉄骨のみが残っている。
車に仕掛けられた爆弾が爆発した路面には大きな穴があいていた。
←爆弾が積んであったとされるバン。
形があるのは以外だが。
警察が立っていてメインのレギャン通りは通行止めになっていた。車どころか人も近寄れない。爆風で割れたガラスがそこいら中に散乱している。ほとんどのお店が休業。
航空パニック
テロが起きて3日目。オーストラリア政府は100人以上のオーストラリア人の死者が確認され、「強制退去」の命令を出したようで、いっせいにオージーの帰国ラッシュが始まり、ほとんどのオージーがバリ島からいなくなった。
僕らの泊まっていた「HOTEL WINA」もゲッコウクラブというオーストラリアからの激安ツアーが、かなりの人数で賑わっていたのだがいきなり撤退して行った。
空港は帰国するオーストラリアの人たちでごった返していたと言う事だ。
テロの直後に到着した僕らの仲間も、バリ島に来て驚いたと言う話だ。機銃を持った軍人が、そこいら中に立っていたという話だ。
日本政府は危険の情報を出しながらも、「渡航禁止」や「強制退去」の措置はとらなかった。
なぜバリ島か?
なぜ観光がメインのバリ島をジャマイスラーミヤが狙ったのかはイロイロな見方があるが、やはりイラク戦争のとばっちりと言う見方が多い。オーストラリアはイギリスの統治下にあった事から、イラク戦争のイギリスに対する報復と考えるのが妥当だろう。
しかし観光客しかいないバリ島を狙ったのはあまりにもひどい。
僕は政治的な事は詳しくないので、あくまで推測が入っています。
テロを終えて
2002テロ慰霊碑
サリクラブの後には慰霊碑が立てられている。
亡くなった人の名前が石に刻まれている。
2002のテロでは202人の何の関係もないトラベラーの命が失われた。日本人の犠牲者は新婚旅行だったということだ。
2002年のバリ島テロは外国人観光客を含めた202名が死亡した。犯行声明は無かったが、インドネシア当局は国内のイスラム過激派「ジェマ・イスラミア」(JI)幹部の多数を犯行容疑で拘束した。
にも関わらず2005年にはまたテロにやられてしまうのだが。。。
亡くなった方々のご冥福をお祈り申し上げます。